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老いを学ぶ
2012年10月24日
老いの工学研究所提供
幸せな「老い方」へ、2通りの生き方。
老いの工学研究所
人は誰しも老いていきます。そしてその老い方は人それぞれです。しかしそんな老い方にも、誰もが思わず敬意を表したくなるような人たちがいます。そこに何か共通項があるのではないかと文献を探ってみることにしました。
まず対象にしたのは、老いてなお現役として活躍しているプロの生き様を紹介している『最高齢プロフェッショナル』シリーズ(徳間書店)です。このシリーズでは年齢を超越した30人の超人の事例が掲載されていて、ケーススタディをするにはうってつけなのです。最高齢プロフェッショナル達の珠玉の言葉を一部抜粋します。
■69 歳の時に「アンパンマン」がヒットした漫画家・やなせたかし(91 歳)
「運と巡り合うためには、何でも引き受けることが大事なんです」
■一式陸攻の生き残りにして東日本大震災でも物資輸送したパイロット・高橋淳(88 歳)
「せっかく生まれてきたんだから僕は死ぬまで進歩したい」
■コーヒーだけのお店銀座のカフェ・ド・ランブル店主・関口一郎(96 歳)
「次から次へと改善したいことが出てきて、96 歳になっても時間が足りないよ」
■世界で活躍する日本人ピアニストの先駆け・室井摩耶子(89 歳)
「真剣に向き合うたびにいろんな発見がある。だから面白くてやめられない」
■山田耕筰の数少ない弟子で声楽家にして相愛大学名誉教授・嘉納愛子(103 歳)
「楽しいことなんて、ぼんやり口を開けていても誰も持ってきてはくれませんよ」
■長男次男が小児マヒ、妻はパーキンソン病、95 歳で一人ぼっちの教育者・曻地三郎(106 歳)
110 歳まで講演会の予定がびっしり「何も人任せにはしなかった。いつも全部自分でやった」
■亭主は24歳年下。今も舞台に立つ漫才界の重鎮・内海桂子(90 歳)
「将来に不安?そんなヒマがあったら動きなさいよ。人は動けば金になる」
■66 年間天体の観測を続ける。宙に魅入られたプラネタリウム解説者・河原郁夫(81 歳)
「一生続けられるものがあるといいですね。人生が豊かになります」
■結核と闘いながら吹き続けアメリカを魅了したサックス奏者・尾田悟(85 歳)
「演奏に満足したことは一度もないよ。明日はもっとうまくなる。だから生きていられる」
■老いと戦いながら96 歳でCD を発売したチェリスト・青木十良(97 歳)
「満足するものは一生作れない。だから人生は面白い」
■サントリーホールを「音の宝石箱」にした響きの魔術師、音響設計士・永田穂(87 歳)
「仕事の9割は雑用。でも好きなことだったら耐えられる。貪欲にもなれるんです」
■結婚当日に夫が出征し戦死。取り上げた我が子は1万人。助産師・林むつ(93 歳)
「どんな仕事も命懸けでやること。必ずいいものが返ってくる」
参考文献 最高齢プロフェッショナルの教え』『最高齢プロフェッショナルの条件』徳間書店
彼らの生き様には、3つの共通点がありました。
1:好奇心が旺盛であること。
基本的に何でも引き受けます。そこで天職に巡り会い、とことん突き詰めていくのです。
2:ひたむきな向上心があること
決して現状に満足せず、常に成長する努力をしているので、まったくヒマがありません。
3:くじけない強い心をもっていること
どんなに失敗し逆境にあっても、目の前のことを楽しんでいるので、くじけません。
この3点により一生続けられる仕事を見つけた彼らは、例外なく幸せに生きていると言えます。つまり誰もが思わず敬意を表したくなるような「老い方」に必要なものは仕事なのです。
「生涯続けられる仕事」は幸せな老い方を約束する。隠居は不幸の始まり。なのかもしれません。
●江戸期の長寿者たち
さらに文献を調べていると、意外な事実がありました。平均寿命が40 歳にも満たない戦国~江戸時代に、平均寿命約83 歳という集団が存在していたのです。
それは戦や決闘に、命をかけ己の武術を磨くことのみに明け暮れていた武芸者、剣豪です。信頼できる資料で生年と没年が確認できる有名な剣豪・武芸者から算出してみました。
飯篠長威斎【いいざさ・ちょういさい】 102 歳 1387-1488
愛洲移香斎【あいす ・いこうさい】 87 歳 1452-1538
上泉 信綱【こういずみ・ のぶつな】 69 歳 1508-1577
塚原 卜伝【つかはら ・ ぼくでん】 83 歳 1489-1571
柳生 宗厳【やぎゅう ・ むねとし】 80 歳 1527-1606
伊藤一刀斎【いとう ・いっとうさい】 94 歳 1560-1653
柳生 宗矩【やぎゅう ・ むねのり】 76 歳 1571-1646
東郷 重位【とうごう ・ ちゅうい】 83 歳 1561-1643
宝蔵院胤栄【ほうぞういん・いんえい】 87 歳 1521-1607
丸目 蔵人【まるめ ・ くらんど】 90 歳 1540-1629
宮本 武蔵【みやもと ・ むさし】 60 歳 1584-1645
彼らの寿命の平均 約83 歳は2010 年の日本人男性の平均寿命79.64 歳をも軽く超えており、驚異的な生命力と言えるでしょう。また、上に書いた3つの共通点は、彼らにも当てはまりそうです。
ところが幸せな「老い方」を調べていると、上の3つの共通点では説明できない事例を見つけました。医療史の研究で知られる立川昭二・北里大学名誉教授が歴史上の人物について、1964 年以前の500 年の平均死亡年齢を計算しています。それによると
戦 国 時 代:60.4 歳
江戸時代前期:67.7 歳 中期:67.6 歳 後期:65.2 歳
明治大正時代:60.6 歳
昭 和 時 代:72.0 歳
江戸時代に平均寿命が約39 歳であったことを考えると、かなり長寿といえます。一般民衆に比べ、住環境、食事環境、医療環境が恵まれているからと推測されています。最も死亡率の高い乳幼児期をすぎれば長生きできるのです。
江戸期でよく名を知られた人物の死亡年齢は、
近松 門左衛門 72歳
新 井 白 石 69歳
徳 川 光 圀 73歳
貝 原 益 軒 85歳
杉 田 玄 白 85歳
上 田 秋 成 76歳
良 寛 74歳
滝 沢 馬 琴 82歳
葛 飾 北 斎 90歳
伊 能 忠 敬 74歳
江戸時代では、ほとんどの人が、ずっと仕事を続けていたわけではなく、40 代半ばから50 歳頃に現役から引退し、隠居してからもう一仕事をし老後を楽しんでいたそうです。
伊能忠敬は50 歳で家業を息子に譲ると、それまで抑えていた好きな天文学の研究を始め、日本地図制作のために日本全国を歩測する旅に出発しました。55 歳のときでした。そして精巧な日本地図を完成させたのは実に15 年後の70 歳の時でした。
神沢杜口は、40 歳で与力職を娘婿に譲り、娘一家と暮らさず都会派老人として京都に住み念願の執筆活動に入っています。杜口は執筆中の原稿の大半を78 歳のときに大火で消失させますが再び筆をとり、3年半後にライフワークとなる大著「翁草」を完成させました。年齢80 歳を超えるころに、年間900 ページずつ書き上げている計算になります。
このように江戸時代の年寄りはかなり精力的で、隠居後は子供に依存せずに第2の人生で自己実現をはたしていたと言えるのです。それは、現代の年寄りをはるかに凌駕した段階に達しているのではないでしょうか。
だとすると、「仕事を見つける」だけではなく、「隠居の仕方」にも生涯現役・健康長寿の秘訣があるのかもしれません。
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