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高齢期を語る〜著名人インタビュー〜

2015年11月11日

老いの工学研究所提供

若手研究者の交流と養成目指す「益川塾」。100年後に「私学連合」実現させたい。

理論物理学者 2008年ノーベル物理学賞受賞者 益川敏英さん

ノーベル物理学賞を2008年に受賞した益川敏英さん(75)。受賞決定の際、教授を務める京都産業大学での記者会見で「大してうれしくない」と異例の第一声を発して話題となりました。
その後、授賞式へ出発する空港で「来いと言うから行くだけの話であって、何もありません」とそっけなかったり、帰国直後も「(ノーベル賞のメダルは)穴でも掘って埋めときます」と、ちゃめっ気たっぷりの発言をしたり。親しみやすいキャラクターを印象づけました。反骨精神も旺盛でいらっしゃいます。現在も研究や後進の育成に忙しい益川さんにお話を聴きました。

――ノーベル賞受賞後、京都産業大学に益川さんが塾頭の教育・研究機関「益川塾」が設立されまし
た。

当時の学長の坂井東洋男さんと相談して、蘭学者・緒方洪庵が江戸時代に開いた「適塾」みたいなものを作ろうと考えました。若手研究者を集め、交流と養成を目指します。いろいろな私立大学から人材が集まっています。この組織を足がかりに人の輪を広げ、100年先になるかもしれないけれ
ど、「私学連合」的なものを実現させられればと思っています。
国立大と比較して、私立大では研究費助成や設備で恵まれていない面があります。それを100年後には「私学連合」を作って打ち破りたいと。そのための種をまきたいと考えています。

――反骨精神や意思の強さは、ご両親から受け継がれたものでしょうか?

どちらかというとおふくろに似ていると思います。言い出したら聞かない性格でした。おやじが気が短いほうだったから、よく派手な夫婦げんかをしていました。おやじは口数の少ない人でした。第二次大戦前は洋家具職人で、戦争中は軍需工場で戦闘機の増槽(増設燃料タンク)を作っていたそうです。戦後、和菓子の材料の砂糖の卸しを始めました。おやじとしては自分が始めた商売だったから、僕に後を継いでほしかったようですが、店はたたみました。

――後は継がずに世界的な物理学者だった坂田昌一先生にあこがれて名古屋大学に進まれたと。近著「科学者は戦争で何をしたか」(集英社新書)では、坂田さんから学ばれたことや、平和への思いを書いておられます。

坂田先生から「こうしなさい」といった言葉を聞いたことはありません。行動で示された。我々はそれを見て、どういう生き方をしなければならないか学びました。先生の書いた本や文章を読んで学んだことも多かったです。
平和の問題で言うと、科学は「無色透明」「中性」なんですね。科学は使う人によって平和にも軍事にも利用可能です。科学者も、全員が平和主義者かというとそういうわけでもありません。科学者は専門の問題だけに取り組むほうが楽しいのですが、社会とのかかわりの中から平和や政治の問題を学ぶ必要があるのです。

――ご自身の戦争の体験をお聞かせください。

二つの場面がスチール写真のように記憶に残っています。一つは、米軍の焼夷弾が二階建ての自宅の瓦屋根を突き破って一階に落ち、目の前に転がってきた場面。不発弾でした。もう一つが、両親が家財道具をリヤカーに積んで、火の海の中を逃げ惑う場
面。僕はリヤカーの上にちょこんと載せられていた。当時は「怖い」という感情は薄かったようです。
あとになって、不発弾でなかったら自分は死んだか大やけどしていただろうと恐怖を感じました。戦争というのは理不尽なもの
です。極度の緊張感の中で、組織や個人が理不尽なことをするよう追い込まれるのです。

― ― 研究に平和への思い。「二足のわらじをはけないようじゃ一人前じゃねぇ」という雰囲気が坂田さんの研究室にあったとか。

「二足のわらじ」も坂田先生が身をもってやっておられたのであって、口でおっしゃったわけじゃありません。むしろ、若手がそういう言葉を作りました。僕は京都大学で労働組合活動もやりました。役員を決める時に押し付け合いがありがちなんだけど、そういうのを見ていると腹が立ってくるんですね。それで「俺がやる」と言ってしまう。若い時はいつも二足のわらじをはいてました。さすがに最近は新しい仕事を持ち込まれなくなりましたね。

――人は何歳くらいまで成長し続けることができるとお考えですか?

人間、生きている限り成長するんだと思います。研究者にとっては年齢はそう問題ではありません。でも、記憶力と創造性は弱くなります。思いもかけぬものを結びつけて新しいものを生み出す、それが創造性やインスピレーションですが、年齢を重ねると、弱くなります。
我々の分野(素粒子理論)では、20歳代の終わりから30歳代の初めがピークですね。僕も若い時には3時間睡眠で半年くらい考え続けることができました。努力してやっているわけじゃなく、夢中になっているうちに3時間しか寝ていないことに後で気づくといった感じでした

――休日はどのようにお過ごしですか?

週末は滋賀県・琵琶湖の北で過ごしたりします。冬は特にいいですよ。雪が積もった雑木林の小屋で薪ストーブを焚いて。ストーブの横で薪をつぎ足しながら、クラシック音楽を聴きつつ本を読む。それが至福の時です。

― ― 奥様もご一緒ですか?

彼女は彼女なりの時間を過ごしています。僕なんかよりもっと趣味がいろいろあるから。「草木いじめ」もしていますよ。いったん植えては、別の場所に植え替えてみたり。僕から見たらあれは明らかに草木をいじめているね(笑い)。

――シニア世代のみなさんへのメッセージを。

後進に道を譲るということが大切です。ポストや役割を与えるから人間は成長する。いつまでも居座っていたら若手が成長できません。後進に道を譲れば、自分が好きなことをできるからいいじゃないですか。
また、退職した人に役立ってもらう仕組みが社会に必要だと思います。たとえば、大学の退官教授を高校にボランティアで派遣する制度。新しい学問の息吹を高校生に伝えられるし、高校の先生にとってもプラスになる。コーヒー代とバス代くらいで、そんなにお金もかからないと思いますよ。
それから、僕にも京都市からバスや地下鉄で利用できる高齢者パス(敬老乗車証)が来ているけれど、絶対使わない。75歳になったけど、「まだ後期高齢者ではない」という気持ちです。

益川敏英(ますかわ・としひで)

1940年、名古屋市出身。理論物理学者。専門は素粒子理論。67年、名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。70年に京都大学に移り、基礎物理学研究所教授、理学部教授などを歴任した。73年に、当時同じく京都大学助手だった小林誠氏とともに発表した「小林・益川理論」で、当時3種類しか存在が確認されていなかった素粒子「クォーク」が6種類以上あることが必要だと予測。2008年にノーベル物理学賞を受賞した。
名古屋大学特別教授・素粒子宇宙起源研究機構長、京都大学名誉教授、京都産業大学教授。
苗字をローマ字表記する際、「MASKAWA」と「U」を抜くのがこだわり。英語論文も「MASKAWA」表記で発表している。

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