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高齢期を語る〜著名人インタビュー〜

2016年10月10日

老いの工学研究所提供

大野 豊さん ~いきなり上手くなるわけではない。「ま、いいや」と思わず、習慣を地道に継続する。

元プロ野球選手 大野 豊さん

広島東洋カープの黄金期を、抑え投手として支えた大野豊さん(61)は、地元(島根)の信用組合の軟式野球部出身という異色の経歴を持っています。その人生は母・富士子さん(現在92歳)の存在が大きかったと言います。富士子さんとの生活や22年間のプロ生活から今に至るまで、また今後について伺いました。

―― 大野豊さんは、一度は地元で就職されました。その頃のことを「母を楽にしてあげたかった」と振り返っていますが、富士子さんはどのような存在ですか

小さい頃から野球好きでしたが、今の人たちのように「絶対プロ野球選手になりたい」という気持ちはなかったです。それより、母子家庭で育ててくれた母に「早く働いて楽をさせてあげたい」と思っていました。母は芯の通った、強い女性です。「我慢しなさい」とよく言われました。単純な言葉ですけど、プロ生活を続けられたのは、この言葉が大きかったと思います。

―― 軟式野球部からテスト入団。一軍のデビュー戦は厳しいものでした。

強い思いで臨みましたがデビュー戦では1アウトをとるのに自責点5 、防御率135・00でした(苦笑)。そのとき母から「一度の失敗であきらめるな」と言われ、気持ちを切り替えることができました。当時の古葉竹識監督や江夏豊さんとの出会いも大きかったですね。社会人として3年間働いた経験があるので、「野球が仕事」ではなく「仕事が野球」と捉えていました。
集金目標が急に達成できる訳でもないし、大口の案件がいきなり決まるわけでもないのと同じように、「いきなり強く、上手くなるわけがない」と地道な努力を続けることができました。

もう一度現場に戻りたい気持ちも。
「人様に迷惑かけない」よう、ずっと元気でいたい

―― 現在も往年の名選手によるドリームマッチでプレーされていますが、身体のケアで気をつけていることは?

体形を維持できるようジム通いは続けています。私と同世代かそれより上の方が多いですねえ。よくお話しもしますよ。現役時代はトレーニングも
仕事でしたが、今は違います。だからつい「ま、いいや」となりがちですが、それはダメだと思うんですね。そこで頑張り続けて「習慣」にしてい
くのが大事ではないかと思います。
家族からは昔の映像を見て「この頃は細かったね」と言われますが・・(笑)

―― 先輩のプロ野球OBで凄いと思う、憧れるといった人はいますか?

「凄い」のは村田兆治さん。プロ野球OBとしてのこだわりが強いんです。ドリームマッチでは、ブルペンで大学生が球を受けてくれるのですが、「捕球の仕方がダメだ」とか本気で指導しますから。試合前もストレッチからキャッチボールまで準備が徹底している。あそこまでは、ちょっと真似できませんね。
村田さんと違った意味では、長嶋茂雄さんも凄いと思いますね。リハビリで回復されたとは言え、あれだけの国民的スターが、あの姿を見せるのは「強いなぁ」と感心します。過去にしがみつかず、今を受け入れる強さ。これは凄いです。

―― 大野豊さんが、これからの人生でやってみたいことはありますか。

今の仕事(評論家)を続けるのも一つですが、現場に戻りたい気持ちもあります。引退直後とそれから10年後と、2度広島でコーチをしましたし、オリンピックのコーチもしましたが、年代によって考え方は変わってきます。若い頃のような情熱や勢いは薄れるかもしれないけど、この年だからできる指導もある。選手も変わってきているから、それに合わせることも大切です。昔みたいな四の五の言うなは通用しませんから、選手の気持ちを汲み取ったコミュニケーションが必要です。経験豊富なOBは多いし、縁だから何とも言えませんが、それなりの準備はしておきたいと思います。
もっと先のことを言えば、動けない、歩けない状態で迷惑をかけてまで長生きしたいとは思いませんね。私が今の母親に対して思うように、家族は一日でも長くと思うだろうけど。母は「人様に迷惑をかけるな」とよく言っていたしね。だから、元気でいたいし、そのためにも「ま、いいや」は戒めたいと思っています。

大野豊(おおの・ゆたか)

1955年、島根県出雲市出身。元プロ野球選手。出雲市信用組合に就職していたが、77年3月に広島東洋カープの入団テストを受け、ドラフト外での入団を果たす。
現役時代は最速150km/hのストレートに多様な変化球を駆使し、1980年代の広島投手王国を支えた。先発、抑え投手として活躍し、1984年の日本シリーズ制覇、86年のセ・リーグ優勝に貢献した。98年、持病の左上腕部動脈血栓症が悪化し引退。22年間で通算148勝138セーブ、生涯防御率2.90。
引退後は広島や日本代表などで投手コーチを務めたほか、現在はNHKプロ野球で解説などを行っている。
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