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高齢期を語る〜著名人インタビュー〜

2014年04月01日

老いの工学研究所提供

「年齢以上に生きる」人に。106都市で日本文化紹介

服飾評論家 市田ひろみさん

会った瞬間から笑顔で周囲を明るくする市田ひろみさん。
OLから女優、さらに母の下で修業を積み、日本で初めて「着物の着付け教室」を手がけるなど、大きな転機を幾度も経験しました。平成になってからはサントリーの緑茶のテレビCМで一躍、多くの世代に親しまれ、今もテレビドラマに元気な姿で登場されます。仕事は書、絵画にも広がり、広く日本文化を世界に紹介する役割を果たしています。パワフルで前向きそのものの市田さんですが「自分が、というより周りがいろんな道を作ってくれたのです」と軌跡を振り返ります。

――今はどのように仕事をされていますか?

(京都市中京区にある)文化教室「京遊学舎」で着付けを教えたり、講演に年100回以上行きます。それから頼まれた原稿の執筆活動、あとデザインもしています。
先日は京都駅前の旅館が建て直さはったのに合わせて字を書いてほしいと言われ、書を書きました。書も仕事に入っています。(08年の)洞爺湖サミットでも日本文化の紹介として(G8各国の)ファーストレディーに書を披露しました。このような日本
文化紹介のデモンストレーションを世界の106都市で重ねてきました。


――81歳。ご自身の年齢をどう受け止めていますか?

瀬戸内寂聴さんは94歳。塩月弥栄子さんは今でもお茶のお稽古なさってますが96歳なんですね。ですから年齢以上に生きられる人、仕事をされる人はみんなの願望であると同時に目標になっていると思います。私も講演は今も90分立ったままでやるんですよ。年100カ所以上、講演があります。家庭がないからこんな勝手な時間の使い方ができるんですが。
人間にとって一番大事なことは目標というか夢というか、前向きな何かがなくなったら終わりだと思うんです。或る人に「私、いつ引退したらええやろ?」言うたらね、「自分で決めるんとちがう」と。自分が決めなくても仕事がなくなってきた時に決まることやと。「だから仕事が来てる間は頑張ってもらわな」と。

パイオニアの苦労 今は笑い話。明治生まれの母に導かれ

――OL、女優、美容師とお仕事の軌跡は波瀾万丈に見えるのですが、道は周りの人が作ってくれたと言っておられますね。

母も強かった、進歩的な人でしたからね。今はスタイリストなんて当たり前だけれど、昭和20年くらいで既にスタイリストと今では言われる仕事をしていました。
京都は染屋さんとか織屋さんとか問屋さんが多いでしょ。そういうところのポスターとかカレンダーのヘアメイク、着付けを母がしてたんです。日本航空のカレンダーのヘアメイク、着付けも長い間、していました。

――スカウトされて女優になられ、映画デビューで「和製ソフィア・ローレン」と言われながら 演技力に限界を感じて京都に帰られました。

私の帰る場所はちゃんとあったんですよね。母と一緒にサロンとスタイリストの仕事をするようになりました。そんなある日、室町の呉服問屋の社長さんが「着物教室を一緒にしないか」とおっしゃったんですよ。「京都は着物の街だから着物を着られる人を育てないといけない」ってゆってね。で、デパートの呉服売り場で、こうやったら一人で着れる、一人で帯が結べるという実演をしてほしい、と言われたんですよ。
それが着物教室の始まり。昭和38、9年のことです。「お母さん、大きい仕事もおて(もらって)きたわ、日本全国のデパート回んのえ、実演やんねん」てゆうたんです。そしたら母が「ふーん、ほんであんた一人で着付けできんのか?」ってゆわはった。
でけへーん(笑)
でもその時はもう福岡で1週間後にすることが決まってたんですよ。母から1週間特訓を受けて実演やったんです。はじめからできる人ではなかったんですよ(笑)

――しかし、ご苦労もあったとか。

美容業界から嫌われてバッシングを受けてね。「素人に着付けを教えてしまったら美容室にだれも来なくなる」と。でも母は「今にみなしはるわ。やめんでええわ」と平然としていましたね。
それと、男女平等の時代ではなかったんですよ。昭和42年からは関西テレビで毎週土曜日に着付け・帯結び
のコーナーに出るようになって、「毎日グラフ」にも取り上げられて……とかく目立つ。すると「女のくせに」「女だてらに」と。
男性社会と美容業界、両方からのバッシング……でもね、やっぱり母に支えられたと思うのね。大学行く時も
そうでした。昭和28年。女が大学なんか、という時代でした。でも母が「行っといたらええわ」。いつも母がつぶやくことが正解なんです。母の着付けの基本というのは――今も同じことをやっているんですが――理にかなってるね、明治の人は。苦しくなくて着崩れない着付けというのを母に教わりました。

――今後への抱負と同年代の方々へのメッセージを。

私はほんとに幸せ者でベネチア映画祭にも江角マキコさんと行ってるしね(注=1995年に「幻の光」で)アラン・ドロンと着物のお仕事一緒にしたし、マーロン・ブランドとは映画でご一緒したし、だれにもできないような体験させていただいて、今なお生涯を貫く仕事があって健康やし…できればボケなければいいなと。
健康で何か一生懸命やっている人、ボランティア、仕事、趣味、何でもいいんだけど、何か「やらなければならないこと」を持っている人は強いですね。なん時までに行かなあかん、とか。
それとね、年とってから、きたないのはあかんね。やっぱりおしゃれせんと。着るもので女の人って変わりますからね。

市田ひろみ(いちだ・ひろみ)

服飾評論家。「京遊学舎」主宰。日本和装飾師会会長。全日本きもの振興会理事。京都市観光協会副会長。市田美容室代表取締役社長。
1932(昭和7)年7月生まれ。大阪府出身。小学校時代を中国・上海で過ごし1945年帰国。53年京都府立大学国文科卒業。ヤンマーディーゼルに勤務を経て大映京都入社。58年、映画「手錠」でデビュー。母の市田美容室に入り、着物教室を始める。
68年からは世界の民族衣装の調査・収集を続ける。93年サントリー緑茶のコマーシャルでACCコマーシャル大賞受賞。NHK「おしゃれ工房」テ
レビ朝日のドラマ「京都迷宮案内」などテレビ出演多数。「私という生き方」(講談社)「大人の京都 路歩き」(主婦の友社)など著書も多い。

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