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高齢期を語る〜著名人インタビュー〜

2015年08月15日

老いの工学研究所提供

林家 木久扇さん ~がん克服し高座復帰。尽きることない好奇心

落語家 林家 木久扇さん

寄席や各地の落語会、人気演芸番組「笑点」で、全国に明るい笑いを届ける林家木久扇さん(77)。昨年7月、喉頭がんが見つかりましたが、約2カ月で完治し、復帰されました。治療の間も、イラストを描いたり、エッセーを執筆したりと常に前向きな姿勢で、最近では自作イラストのLINEスタンプが話題になっています。「これなんだろう?って何にでも興味を持つんです」。尽きることのない好奇心が、変わらない若々しさの秘訣のようです。

――5月に開かれた長男二代目木久蔵さんの噺家生活20周年記念落語会で、お孫さんと親子三代の口上が実現しました。

快気祝いも兼ねての会だったんです。小学2年なんですけど、「ワニが逃げたよ。怖いワニー」と僕が教えた小噺をやってくれました。とっても楽しかったですね。フレッシュな感じがしました。

――昨年、初期の喉頭がんを公表され、「笑点」も休まれました。

7月にがんが見つかって、放射線治療で消えたのが8月15日。偶然だったんですけど、僕が(三代目桂)三木助師匠に入門した日なんです。散ってるがんを消すためにまた放射線治療をして、9月4日に全部の治療が終わりました。10年前に内緒で胃がんをやったんですが、その時は「笑点」を休まなかったんです。皆勤で今年の50周年までいこうと思っていたのが崩れちゃったのが、残念でしたね。
よく、笑い話として落語のマクラでも使ってんですけど、がんをずいぶんしかりつけてたんです。毎朝ベッドから出ると、自分の部屋の椅子に座って、「なんでいつも僕の前に立ちはだかるんだ。僕はもっと生きなくちゃいけないし、やりたいことがいっぱいあるんだ。10年前にがんができて、今回も僕の邪魔をしてどういうつもりなんだ。出てけ」って心の中で小言を言ってたんですね。
お医者様も、がんに向かって小言を言うってことはなかなかしない。それが支えになったんじゃないか、と言われました。

――治療の間は、いろいろ大変だったと思います。

声が出ない時が一番つらかった。最悪、廃業とか、笑点」降板も考えましたから。
とにかく、頑張ったという足跡をなんとか残そうと思って、カレンダーを作ったり、頼まれていたエッセーを18本くらいこなしたりしました。「林家木久扇のみんなが元気になる学校寄席入門」(全4巻、彩流社)という本も出しました。
「負けまい」という気持ちはずいぶんとありましたね。声が戻った時は、なんとも言えないうれしさがこみ上げてきました。

――その精神力の強さはどこからくるのでしょうか?

昭和12(1937)年生まれで、小学1年の時に東京大空襲を経験しました。火の海をおばあちゃんの手を引いて、死ぬんじゃないかと思いながら逃げ回った。「今日は生きていられた。明日はどうなるんだろう」って、子供が毎日そんなことを考えていた。あの空襲の恐怖、悲惨さに比べたら、がんなんて何でもなかったですね。たかが病気っていうかね。がんはがんですけど、絶対生きてやろうと思ったし、気が折れることはなかったです。
今は体の調子もいいです。ラジオ体操のDVDを買って、毎朝、画面を見ながらやっています。筋肉を作るために加圧ベルトも買って、毎日50回ひざを上げる運動もやっています。

――高齢者の男性の方には、引退後は家に引きこもっているのが問題になっています。

寄席もそうですからねえ……、おかあさんばっかり(笑)。
昔は男の人ばかりでした。たとえば、落語サークルを作って、自分たちが出演者になったらどうでしょうか。落語って自分がやるととっても快感なんです。自分がしゃべったことで人が笑ってくれると、弾けますね。僕は、ハンドルをこっちへきったり、あっちへきったり、人生の対応がうまいんですね。よく生きる名人って言われます。落語だけでなく、ラーメン事業や俳句をやったり、LINEのスタンプを作ったりと、時代に参加しているっていうことを、僕は大事にしているんです。

――師匠のように、生涯現役を続けるアドバイスをお願いします。

小学校に時間割ってあったでしょ。僕は、時間割をやってるわけなんですよ。1時間目は落語、2時間目はラーメン、3時間目は俳句、5時間目チャンバラ映画とかね。成人になるにしたがって、みんな1個に絞られちゃうんですよ。それで定年になってどうしようって、分からなくなってしまう。年を取っても時間割を作ってやるということでしょうか。
僕なんか、朝起きたらやることばっかりで、いつの間にか夕方になっている。せっかく生まれてきたんだから、「何かをしてもらう」という受け身じゃなくて、自分から玉を投げないと。これは何だろうって?って、何にでも興味を持つこと。生きてるってことは、そういうことだと思います。

林家木久扇(はやしや・きくおう)

落語家。落語協会相談役。
東京・日本橋出身。1960年、三代目桂三木助に入門。翌年三木助が亡くなり、八代目林家正蔵門下へ移り、林家木久蔵に。72年真打ち昇進。2007年親子ダブル襲名で、長男きくおが二代目木久蔵を襲名。自身は木久扇になり、大きな話題を呼んだ。同年親子大賞選考委員特別賞。「ぼくの人生落語だよ」(ポプラ社)、「3・11震災俳句画文集 これからだ」(今人舎)など著書多数。
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