「中楽坊」スタイル

心身ともに豊かなシニアライフを
送るための Webマガジン

高齢期を語る〜著名人インタビュー〜

2014年09月23日

老いの工学研究所提供

三浦雄一郎さん ~始まりは「65歳のメタボ」から。70・75・80 歳 エベレスト3度登頂。

冒険家 プロスキーヤー 三浦雄一郎さん

昨年、史上最高齢の80歳で世界最高峰エベレスト(標高8848㍍)への登頂を成し遂げた三浦雄一郎さん(
81)。スキー場での事故で骨盤と大腿骨の付け根を骨折しながらリハビリで克服。一方で二度の心臓手術も経たうえでの快挙でした。しかもエベレスト登頂は70歳と75歳の時に続いての3度目でした。
常人の遠く及ばない超人とも思える三浦さんですが、「夢を持って」「皆さんにもできますとも」が口ぐせ。歳とともに〝慎重〞になりがちな私たちを激励します。

― ― 昨年の快挙はけが(骨折)も病気(心臓)も克服してでした。

76歳の時、スキーのジャンプで失敗して骨盤と大腿骨の付け根を折って……76歳でこんなけがをしたら寝たきりになってもおかしくない。75歳で2度目のエベレスト登頂をした後で、「次は80歳で」と言っていたころですから、家族はこのけがが大変だと思う一方で、「これであきらめるだろう」と少し安どする思いもあったようです。
でも僕は「何としても」と思っていましたから入院中に考えました。病院の食事はまずくはないのですが、これでは骨はできないな、と思い毎日シャケの頭を食べようと― ― 熊みたいなことを(笑)――考えたんです。懇意な魚屋さんから取り寄せて毎日、毎日。韓国料理のサムゲタンのように具と一緒に煮て骨から目玉から余すところなく食べて、サプリメントも飲んで… … 1カ月ちょっと経つと先生が「不思議だ」と。ズレていた骨が正常な位置でくっつき始めてる、と。くっつき具合も中学高校生並みの早さで、とても76歳の回復ではないと。
負荷をかけた運動のおかげで骨密度が高かった、同じ骨折でも折れ方がましだったのです。

――今回の登頂では、どのような工夫をされたのでしょう?

昔、言われていた「年寄り半日仕事」という言葉を思い出し、同じことを山でやってみようと。心臓のリハビリも続けるつもりで登ろうと。たとえば、3000㍍を朝出発して夕方3600㍍にたどり着く、若い人でもフラフラです。あくる朝出発して……を繰り返していては死んでしまう。朝出発して昼に(目的地に)着いて
あとはゆっくりと夜を迎えます、疲れていないのでよく眠れます。

あくる日も朝出発して昼に着いて夜までゆっくりするのです。ほかのチームより10日遅れのペースです。これでエベレストの頂上に着いた時はうっとりしてしまいました……普通、頂上には20分いたらいけないと言われています。エベレストの8848㍍というのは、まるで神様が「人間が生身で登れるのはここまでだ」と決めたような高さなのです。これ以上の高さになると血液にあぶくが生じてしまう。50度で水がふっとうする、という世界ですから。9000㍍以上だと宇宙服を着ない限り人間は生きていけない……そういう限界がエベレストなのです。
それは知っていながら酸素マスクを外す、ゴーグルを外す、写真を撮る、衛星携帯電話で話す、気がついたら1時間くらい経っていました、この間に体温がどんどん失われていったんじゃないかと。
下りは体重の3〜5倍の力が足にかかるといいますが、足に力がまったく入らない、ロープにしがみつくようにして降りました。それでも死んだ方がまし、と思うくらい苦しくて、「(ロープから)手を離しさえすれば楽になる」。死神の声が聞こえるようでした。みんなが助けてくれて30時間かけて8848㍍から6400㍍まで氷の壁を降りました。6400㍍が「もう大丈夫」という地点なのです。
(下の写真は、史上最高齢の80歳でエベレスト山頂に立った三浦さん=2013年5月23日。ミウラ・ドルフィンズ提供)

――70歳で1回目のエベレストに挑むまでには、ちょっとした〝前史〞があったそうですね?

60歳で「もうこんな危ない稼業から足を洗ってのんび
り余生を楽しもう」という気になったんです。飲み過
ぎ、食べ過ぎ、運動不足でメタボになりました。身長164㌢なのに体重88㌔、体脂肪率40を超えるありさまで……さすがにこれではいけない、目標を持たねばと。
ちょうどそのころ父の敬三(スキーヤーで2006年
に101歳で死去)が99歳でモンブランをスキーで滑ったのです。「おやじがモンブランなら自分はエベレストだ。5年かけてやろう」と心に期したのが65歳でした。
ところが――僕はずっと札幌に住んでいまして――(札幌市中央部にある)藻岩(もいわ)山(531㍍)に
ゆっくり登っただけで心臓はバクバク、脂汗は出る。知ってる人に見られないよう野球帽を目深にかぶったくらいでした。
「こんなことでとてもエベレストなんて……」と思う一方で、「でもこれでできたら面白い」という思いもありました。一方で、仕事で全国を飛び回らなければいけません。考えたのは日常生活でトレーニングする方法もあるのでは、ということ。足首に1㌔の重り、背中には10㌔の荷物を背負い、仕事に散歩に出かけることでした。重さはだんだん増やしました。先ほど、「負荷をかける」といったのはこういうことです。

――さらに次の目標を掲げておられるとか?

はい。できれば85歳でチョ・オユー(8201㍍)に登りたいと。(注=チョ・オユーはネパールと中国チベット自治区にまたがるヒマラヤ山脈の山。高さは世界第6位)山頂からスキーで滑れる唯一の8000㍍級の山なものですから。

― ― 同年代の方々へのメッセージを。

僕はエベレストという目標を持ったおかげで「攻めの健康法」を持て、骨を丈夫にでき筋肉もつけられました。食べ物にも気をつけることで元気が出ました。「できることを一歩ずつでもいいからやってみよう」がエベレストにつながったのだと思います。
みなさんも少しでも「いい」と思ったことは継続してください。夢・目標も、みんながエベレストでなくていい、温泉に行くでもいい、行動すること自体が大きな目標につながるでしょう。

【関連記事】心から笑顔になれる高齢者住宅

三浦雄一郎(みうら・ゆういちろう)

プロスキーヤー。冒険家。クラーク記念国際高等学校校長。
青森市出身。1960年代前半からプロスキーの世界で活躍。66年富士山直滑降。85年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。03年、70歳でエベレストに世界最高齢で登頂。08年75歳でエベレストに再登頂。昨年5月23日、80歳での3度目の登頂を成功させ大きなニュースになった。
Tweetする

この記事のキーワード

同じカテゴリーの最新記事

  • 老いの工学研究所提供

    高齢期を語る〜著名人インタビュー〜

    2018年10月10日

    楠木 新さん ~定年後の良い顔には「好奇心」と「行動力」。培った経験にも「宝」が。

    作家 楠木 新さん

    この記事を読む

  • 老いの工学研究所提供

    高齢期を語る〜著名人インタビュー〜

    2016年10月10日

    大野 豊さん ~いきなり上手くなるわけではない。「ま、いいや」と思わず、習慣を地道に継続する。

    元プロ野球選手 大野 豊さん

    この記事を読む

一覧に戻る

アクセスの多い記事

  • 老いを学ぶ

    2023年05月11日

    「高齢期の住まい」診断チェック。約2分で診断できます。

    この記事を読む

  • 老いの工学研究所提供

    老いを学ぶ

    2023年04月17日

    「子どもに迷惑をかけたくない」を実現する、たった一つの方法。

    この記事を読む

  • 老いの工学研究所提供

    老いを学ぶ

    2024年02月23日

    「ピンピンコロリ」は、既にほぼ実現している。

    この記事を読む

注目のキーワード