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高齢期を語る〜著名人インタビュー〜

2015年01月30日

老いの工学研究所提供

スポーツは文化。選手だけのものでない。子どものスポーツからも楽しさを見いだせる。

マラソンランナー メキシコ五輪銀メダリスト 君原健二さん

半世紀前の東京オリンピックに胸ときめかせた団塊世代のヒーローで、「マラソンニッポン」の一時代を築いた君原健二さん(73)。オリンピックは3大会に出場し、東京8位、メキシコ(1968年)で銀メダル、ミュンヘン( 72 年)5位。東京五輪当時は入賞は6位までで、今で言えば3大会連続入賞という偉大な記録です。
競技の一線を退いてからは教壇に立ったり、教育委員を務めてスポーツの大切さを啓発する一方、市民ランナーとしてマラソン大会で快走しています。競技者としても市民ランナーとしても、これまで出場したレースはすべて完走、途中棄権は一度もありません。「銀」のメキシコより東京五輪の方が思いは深いという君原さんにお話をうかがいます。

――今はどのくらい走っておられるのでしょう?

月1回くらいのペースで各地のマラソン大会にゲスト出場して走っています。半数近くは毎年行っている大会です。(東京五輪で銅メダルを取り、メキシコ五輪を前に自ら命を絶った故円谷幸吉さんをしのぶ)「円谷幸吉メモリアルマラソン」(10月、福島県)もその一つです。
普段は2日に一度のペースですね。自宅を出て1時間ほど、たまには2時間程度。距離にして10〜15㌔ですね。地域の中学を支援していまして部活の生徒らと一緒に時々走ったりもしています。これは週1、2回でしょうか。ただ、レースへの出場では10月末から足に痛みを覚えるようになり、予定していたフルマラソン大会の出場を見送りました。(選手として、市民ランナーとして、の両方を)通算すると今、71回(のレース出場歴)です。2015年2月の東京マラソンで年齢と同じ73回になるのではないかと思っていますが、当たり前にできていたことができなくなってきているのかな、とも思い、体調管理にはより気を引き締めてかからねばいけないな、と考えているところです。

――再びの東京オリンピックも決まりました。

スポーツは文化だと思っています。「観るスポーツ」にしましても、一流選手のプレーや演技だけでなく、たとえば小学校や幼稚園の運動会で、あどけない無邪気な子どもたちがスポーツしている姿はいつまで見ていても飽きない。子どものスポーツからも楽しさを見いだすことができるのです。

スポーツは運動能力の優れた人だけのものではなくて、その場で体操するだけでも、普段着で家の周りを歩くだけでも、立派なスポーツだと思うのです。
私が始めたころはスポーツは競技者のためのものでした。競技会しかなかった。今はスポーツがほんとに大衆化して、マラソンを例にとってもみんなが楽しんで参加なさる、そんな大会が増えております。

――銀メダルだったメキシコ五輪。競技場に戻られた時、後ろには3位の選手が迫っているのを確かめるや振り切るように最後の力走をされましたね。「円谷さんが振り向かせてくれたのかもしれない」と後に語っておられます。

メキシコでは「このレースに出たかったのは円谷さんなんだから、きょうは円谷さんのために走ろう」と、スタートの地点でそう思ったことは覚えているのですが、レース中の記憶はあまり残っておりません。
円谷さんは小学校のころ、運動会でキョロキョロしながら走っている子どもがいたんだそうですが、お父さんから「あんなみっともない走り方をしてはいけない」と言われ、後ろを振り向かない走りになったんです。東京オリンピックのとき、国立競技場に着いたとき、後ろ80㍍にヒートリー選手が迫っていることを円谷さんは知らなかった。もし知って
いたら抜かれなかったかもしれませんが……。
その教訓かどうか、メキシコ五輪の時、ゴールの競技場まで来たときに後ろが気になってしようがない。見ると、東京オリンピックの円谷さんと同じように、すぐ後ろにニュージーランドの選手が迫っていることを確認できました。
レース中は「一人に抜かれても表彰台には立てる」という気持ちでしたが、あとは競技場を駆け抜けるだけだ
から、ここまで来た以上は絶対追い抜かれまいと……こういった気持ちで頑張れたのも円谷さんの(天国から
の)支援があったのかな……そんな感じがいたします。

――銀メダルのメキシコ五輪より、8位に終わった東京の方が思い出深い、という意味のことも語っておられます。

メキシコでは途中おなかが痛くなりトイレに行くか、がまんするか……となりました。いずれにしろ自分のコンディション調整――食事のとり方ですとか――の問題があった。銀メダルではありますけれども、必ずしも
パーフェクトで走れたわけではない。レース内容についてはそんな感じがするのです。
東京オリンピックは私にとって初めてのオリンピックであったし、出場するまで心の葛藤とかあって……「日本国民みんなが期待しているんだから」という精神的プレッシャーと「『スポーツの祭典』と言うじゃないか。お祭りなのだから気楽にいこう」という思いが同じ一日の中で交互に押し寄せて。それも私の弱さだったと思っています。
すばらしい大会でしたし、成績はふるわなかったのですが、私にとっては東京オリンピックは一番……競技生活全体の中で一番の誇りに思っています。

――今、空前のマラソンブーム。歳を重ねた人たちも市民マラソンにたくさん参加しています。シニア世代にも当てはまるような君原さんの人生訓を聞かせてください。

東京マラソンがマラソンブームの火付け役となったと思っています。どんどん今も新しい大会が増えております。一般の方が42・195㌔に挑戦なさるというのは驚きだと思いますが、やっぱり達成感を味わえる、みんなと一緒に走って自分が認められるといいますか、完走した時の喜びをかみしめていらっしゃるんじゃないかと思います。
私は努力すれば報われることをこの体で知りました。人間の努力なんて紙一重の微々たるものだと思うんです。紙は二枚三枚では厚みは見えません。しかし、何十枚何百枚積み重ねると本となって厚みが見えますように、努力だって何十回何百回何千回と積み重ねたならばはっきり成果が見えてくるのです。
私たちの世代が育ったのは戦後のみんなが貧しく大変だった時代でした。マラソン選手に必要な辛抱、我慢強さを養う環境が身近にあったと思います。それもマラソン選手の私にはよかったのかもしれません。

君原健二(きみはら・けんじ)

1941年、北九州市生まれ。1959年、八幡製鉄(現・新日鉄住金)
入社。ボストンマラソン優勝など選手として国内外の35レースに
出場、優勝は13回。北九州市教育委員、同市立大学特任教授など
を歴任。現在、北九州市在住で同市スポーツ大使。

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